マイカーは一般的な言葉ですが、自分には縁遠い時期がありました。30代の半ばまでは、クルマを運転する生活ではなかったからです。
クルマを買うほどお金も貯めてなかったし、運動神経が鈍い私がクルマを運転するなんて、と思っていました。安全にクルマを走らせる自信もありませんでした。
そんな私が、とあるきっかけで自分のクルマを買いたいと思うようになり、時間はかかりましたが、自分のクルマがある生活がスタートしました。
この記事で書かれている内容
最初のクルマは上司のだった
後述しますが、じつは私、専門学校を卒業して新卒で就職しようとしていた時と、30代で別荘地の管理会社に転職しようとしていた時、自動車教習所には2度入りました。1度目は、事情で卒業まで進めず、2度目に免許を取得したのです。
転職でどうしても運転免許が必要になり、新しい会社に入る前に、まとまった期間の休みが取れたので合宿教習を受け、免許を取得しました。
転職先の会社は、地方の別荘地管理を担う不動産会社でした。本社は大阪にありましたが、管理する別荘地は地方に複数あり、いずれもクルマで少なくとも2時間以上かかる場所にあり、移動にはクルマが必要で、入社の条件として要普免となっていました。
入社後、しばらくは直属の上司が同行する日々が続き、私は上司のクルマを運転することが常でした。トヨタのウインダムという車で、日本車としてはやや幅広で、運転慣れしていなかった私には当初は、アクセルやブレーキ、ハンドル操作はもとより、何より車体感覚が掴めなかったのでなかなかスムーズな運転ができず、現地へ行くのに時間がかかる数か月が続き、よく上司から叱られました。
別荘地管理会社で四駆に興味を持った
そんな私でしたが、次第に運転にも慣れ、周囲の状況にも気を配ることができるようになってきました。別荘地は、地方でも田舎が多く、幹線道路は舗装されていますが、わき道に入ると、舗装されていない土道が多く、その更に奥に進むと、砂利道だったり、起伏のある荒れた林道もあり、こういう所を走るに適した四駆がいいなあーと思うようになりました。
ある時、上司のクルマで走っていると、クルマの底を擦りました。ゆっくり、場所を選べばそういうこともなく、走らせることができたと思いますが、まだまだ運転操作の判断が足らない時期は、林道みたいな所を走るときは、ちょくちょくそういうことになってしまい、上司からどやされたものです。
ここでの体験が、のちのち車の購入時にジムニーjb23を選択、またジムニーjb23の定番中の定番のカスタムであるリフトアップをすることになったのです。その話は、あらためて違う記事で後述します。
1人で仕事に出かけるクルマ生活はじまる
入社して3ケ月位経ったころでしょうか、1人で別荘地に入ることも多くなり、そういう時は会社のほうで用意してくれたリース車で大阪から地方へ移動しました。運転が下手なのは車内で有名だったようで、私にあてがわれたのは、マツダのファミリアでした。
普通自動車にしては、やや小ぶりで、操作もラクで、上司のウインダムより車体が小さいのもあり、これまで車幅が広めのウインダムにようやく慣れてきた時期で、ファミリアを用意してくれた会社に感謝の気持ちでした。車体の色は太陽光で焼けて薄くなっていて、古いクルマと思いましたが、保険に入っているとはいえ、万一事故を起こしてはと不安な私にはうってつけのクルマであったと思います。
クルマの運転に自信のない人で、教習所を卒業して免許を取得したばかりの人には、教習車のクラウンよりも小さめのクルマを選ぶのがいいと思いました。それも中古車から始めるのがいいのではとも思いました。
中古や小型車の良さを感じることも。
しばらくして、会社の別の上司から、社内の人が今のクルマを売りたいと言ってるよ、という声を聞きました。会社で借りていた、いつものファミリアと同じく、ファミリアだったと思います。安くするから、と言われ、値段を聞くと、10万円でいいと言ってると言われました。
そんな安いのあるんだと、以前はクルマにほとんど興味もなかったので、中古車の価格とかも全然知らず、クルマは高い、とばかり思いこんでいたので、へえーっと思いました。しかし手持ちも少なく、駐車場を借りることとか、保険代とか、維持費を考え、ちょっと勿体ない話かなと思いつつ、その時はお断りしました。でも、心の中では、いずれは自分のクルマが欲しいなー、自分で買うなら四駆かなーと思うようになってきていました。
行動範囲が広がりました
実際にクルマを運転するようになり、初めは本社と別荘地を行き来するだけでしたが、用事で買い物を指示されたり、地方登記所へ足を運んで登記書類を確認する仕事などもクルマで移動して行うようになり、現地で泊りの仕事もするようになり、自然とクルマなしでは行けない仕事も増え、行動範囲が広がってきました。
こうなってくると、自分のクルマなら、旅行とかもできることを思い浮かべるようになり、クルマのある生活を身近に考えるようになりました。
まとめ
今から思えば、あの時、要普免の会社に入らなければ、クルマのある生活を体験することもなかったと思うと、あの一歩は自分にとって大切な選択肢であったと思います。
クルマを買うほどお金も無いしとか、運動神経が鈍い私にはクルマは関係ないとか、維持費とか、そういう理由も事実ありますが、クルマを持つことで広がる生活という体験は私の人生の中で、何物にも代えがたいものだということに気づかされました。