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故 大山倍達の道場「極真空手の前身」の「大山道場」所在地と入口風景/地図/写真は今もまだ残っているの?亡くなった大山倍達のお墓はどこ?大山倍達の高弟である大山康彦にはショックだった!

世界140ケ国に支部道場を築いた、地上最強のカラテの世界空手道連盟極真空手の大山倍達の道場、「極真空手の前身」の「大山道場」の所在地/地図/写真は今もまだ残っているの?亡くなった大山倍達のお墓はどこ?大山倍達の高弟である大山康彦にはショックだった!

 

極真空手を築いた大山倍達空手。その大山空手の礎となった極真空手の長老の一人、大山泰彦はまだ現役の極真空手の師範代です。その大山泰彦が極真空手の語り、YouTubeを見て思い起こすことがあり、大山倍達の足跡や生まれ育ち?を語ります。

 

まずは大山空手の礎となった、大山道場の所在から明らかにしていきます。

大山道場

この大山道場。1964年に設立される極真会館の前身となった大山倍達の道場です。

東京都豊島区池袋3-1360

 

故・大山倍達氏が設立した極真空手本部道場の前身であるここ大山道場は立教大学裏手の一角にあり、当時、実践組手も素手で顔面打撃あり、金的打撃あり、投げありの実戦空手では有名だった。道場は元々はバレエダンス場だったらしい。

 

当時のオンボロ大山道場の最寄り駅。池袋駅から降りて歩いていった大山道場への西口からの道のりは、トタン屋根のスラム街で、いたる所に反社会的なヤクザみたいな人がいたわけですよ(大山康彦の語り)、それは当時、大山康彦が母親と住んでいた平井のボンクラの悪ガキ(大山康彦)から見ても相当ショックで、これは怖い街やなと思っていたそうです。

池袋駅から大山道場までのスラム街風景(昭和30年代?)

 

大山倍達が掲げていた、大山道場の道場訓があります。それを引用しておきます。

 

  • 一.吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること
    • わたしたちが、空手を修行する目的は、自分自身の体と心をきたえることにあり、真剣にけいこに打ち
    • 込むことで、どんなことにも動じない心と強い意志を習得して行かなければならない。
  • 一.吾々は武の神髄を極め、機に発し感に敏なること
    • わたしたちは、武道としての空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対
    • 応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけな
    • ければならない。
  • 一.吾々は質実剛健を以て、克己の精神を涵養すること
    • わたしたちは、自分自身を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に打ち込むことによって、自分
    • 自身に打ち勝つ強い心を養っていくことを心がけなければならない。
  • 一.吾々は礼節を重んじ長上を敬し、粗暴の振る舞いを慎むこと
    • わたしたちは、礼儀を身につけ、目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとっては
    • ならない。
  • 一.吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
    • わたしたちは人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手のことを大切に
    • し自分を謙遜する態度を忘れてはならない。
  • 一.吾々は智性と体力とを向上させ、事に臨んで過たざること
    • わたしたちは、空手の修行によって知性と体力を向上させ、どんな状況でもあせらず、冷静に対処で
    • きるようにならなければならない。
  • 一.吾々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること
    • 武道としての空手の修行は、一生かけて追い求めるものであり、一生を通じて極意に一歩でも近づこ
    • うとする姿勢、それが極真空手の本義である。

 

かなり自分を律しないと、できないことですね。

私の友人で、大山道場の次に開いた、極真空手び本部道場で稽古していた人がいますが、彼は大柄であったせいか、いつも黒帯の先輩らのサンドバッグ状態になることが多かったそうですが、上記の道場訓は皆さん守れていたのでしょうか。

 

 

極真空手・総本部道場

1964年に竣工され、多くの極真空手家が稽古に励んだ極真空手・総本部道場。大山倍達はこの道場で、数多の門下生に極真空手の極意を自ら汗して指導をしていました。

東京都豊島区西池袋3丁目13-11

この当時の、大山倍達直伝の稽古風景がYouTube動画に残されていました。

貴重な当時の映像なので、紹介しておきます。

この時、大山倍達の右側に立って稽古指導している人が当時の内弟子、今の極真空手の館長「松井章奎」です。この時すでに、大山倍達は後継者にこの人を選んでいたのではないかと推測できます。

なぜなら、彼もまた、大山倍達と同様、元は韓国籍であり、松井章奎の元の名は文 章圭(ぶん あきよし、ムン・ジャンギュ)だからです。

 

今はビルの東側に、いわゆる高い六角高層住宅ビルがそびえているので、当時の面影はほとんど感じられません。ビル内の道場から溢れて、稽古に励む道場性の姿も見ることはありません。

 

「極真空手総裁 大山倍達館長講話」の中で語られている中村誠が次の極真空手の総裁ではないかと思っていたけど、そうではなかった。

 

まあ、この動画「大山 倍達 不滅の直伝 Mas Oyama【極真総本部稽古風景】」はいつ見れなくなるか分かりません。所有者が亡くなったり、YouTube登録が継続できなくなったりすると、どんな動画も見れなくしてしまうのがYouTubeだからです。

 

この動画を見るとわかりますが、大山倍達が道場で学ぶ人、皆に強くなって欲しいと思って、汗して稽古指導していたのがわかります。私は大山倍達館長を直に道場で見たことはありません。

大山倍達館長を直に観ることができたのは、神戸の大倉山体育館で行われる、極真空手の兵庫大会の時のみでしたが、同様の気持ちで大会にのぞんでいました。(当時は、大山空手の通信教育を受けていて、大阪・福島駅近くの関西本部道場で稽古させていただいたことがあります。)

 

あの当時の大山倍達館長です。

 

 

極真空手本部道場初期の主な稽古猛者は中村忠、大山茂・泰彦兄弟、芦原英幸、添野義三、盧山初雄などだった。

大山康彦はその中では、下の下の大山倍達の下流弟子でした。ただし大山茂の弟ということで一目は置かれていたらしい。

大山康彦が初めて極真空手本部道場の前身、大山道場を見た時はオンボロなわけで、お化け屋敷みたいに、窓ガラスが割れていた。。。と語っている。

 

 

大山倍達 大山倍達の墓

東京都文京区の護国寺にある大山倍達の墓

1994年6月青山葬儀場での葬儀

 

地下鉄有楽町線護国寺駅から、すぐ隣が護国寺です。

駅を下りて、歩いて仁王門、不老門を潜ると護国寺。

 

私の青春時代に力をいただいた、大山倍達はもうおられませんが、墓はしっかりと残されています。

大山倍達を思う人はぜひ一度は、訪ねていただきたいです。

 

 

ちなみに、

現在の極真空手本部道場

 

東京都豊島区西池袋2-38-1

 

今までの大山道場などと比べて、駅から便利な場所に位置しています。

 

(画像、地図は、Google検索、Googleマップ、他に残されているブログ、ニュースリリース、YouTube動画などの記録を参照し、引用させていただきました。)

 

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